安楽死と聞くと、どんな印象を抱くだろうか。
日本では一般的に、「死」というものを取り上げること自体がとても繊細で、暗黙の了解があるように思う。
2008年には、日本映画「おくりびと」が、アカデミー賞最優秀賞をとった。
実際この映画の背景には宗教観から、映画化を拒否され続けるというストーリーがあったそうだ。
実際我々の周りでも、死に対しての話題は無意識的に繊細かつタブーというイメージが根付いているのではないだろうか。
※おくりびと
2008年の日本映画。ひょんなことから納棺師として働くことになった主人公が、納棺師という”死を扱う仕事”を巡り様々な人間模様を描いた作品。
第81回アカデミー賞外国語映画賞、第32回日本アカデミー賞最優秀作品賞などを受賞。
ここで、宗教的にタブーであるイスラエルの国でも、「安楽死」をテーマに、倫理に関わる問題を取り上げた映画がある。
ハッピーエンドの選び方
2014年に公開されたイスラエル映画。
主人公ヨヘスケル(エルサレムの老人ホームに妻レバーナと暮らす)が望まぬ延命治療に苦しむ親友に、自らの意思で最期を迎えることができるようにと安楽死装置を開発することで物語が展開されていく。
自分の最期をどう選ぶのか?ということをテーマに、倫理的な問題を繊細かつユーモアあふれた表現で取り上げられている。
【ヨヘスケルと妻レバーナの対立】
(※以下、ネタバレの内容を含みます)
安楽死への倫理にまつわる印象的なシーンがある。
ヨヘスケルは人をささやかな幸せにする発明をすることが好きで、妻や友人のために発明をして余生を謳歌している。
そこに、親友マックスが望まぬ延命治療に苦しみ、死を望んでいることをヨヘスケルに相談する。
ヨヘスケル夫婦が見舞いに行った際に、夫妻はその苦しみの現状を目の当たりにする。
ヨヘスケルはマックスの状態を”生き地獄”と考える一方、妻レバーナは”最後まで支えるべき”と意見が対立する。
しかし、親友マックスの妻であるヤナが、夫の望みを叶えようと大量に薬を飲ませて安楽死させようとしているのを目撃し、ヨヘスケルは”自らの意思で死ぬことができる安楽死装置”を開発する。
紆余曲折しながら、仲間の協力もあって、マックスは安楽死装置を使って自死を遂げた。
ここでまたしてもヨヘスケルとレバーナの考えが対立する。
延命治療に苦しむ親友を”救った”と考えるヨヘスケルに対し、妻レバーナは、”救ったのではなく、殺した”と断言した。
【倫理問題を取り上げる努力】
安楽死が宗教的にタブーな国が多い。
特にユダヤ教圏であるイスラエルでは、自殺や自殺幇助は禁忌であり、そのことを題材にした映画を撮ることは、何となくタブーだという暗黙の了解があっただろう。
しかし、この映画の監督シャロン・マイモン監督は、あえてタブーとされる題材を上げたのには、現代の社会問題に強く訴えかけたい何かがあったのではないだろうか。
この映画を撮影するにあたって様々なエピソードが取り上げられている。
エピソード1:出演者の動揺
題材が題材なだけに、声をかけても俳優がオーディションに表れないということもあったという。
主演を務めたゼーブ・リバシュも、出演に先立ってユダヤ教の殉教者に相談をしたそうだ。
エピソード2:リアルでありながら倫理問題を観客に受け入れてもらう努力
倫理問題を取り上げようと映画化をしても、観客を受け入れてもらえなかったら意味がないということで、笑いとユーモアに包みながらストーリーを展開していく。
しかし、倫理的問題を背景にもっている以上、その表現は実に繊細で注意を払われたことだろう。
監督はしっかりとリサーチをしながら三年かけて脚本を書き上げ、さらに実際に病院や介護施設で数多くの話を聞いて問題を理解するだけではなく、安楽死の手助けを実際にしたことがあるというイスラエルの医師の話を聞き、幇助する側の心理描写に生かしたという。
【監督がこの作品で伝えたかったこととは】
この映画が生まれたきっかけは、シャロン・マイモン監督が自ら経験した倫理的シーンだったとインタビュー対談で語っている。
彼の元恋人のおばあさんが亡くなる間際、やっと安らかに眠ってもらえると思った矢先に、救命士が30分の蘇生措置を行ったことを不条理に感じました。
さらにそのおばあさんが亡くなる数日前に「自分が最期こんなに苦しむと思わなかった」と言っていたのも忘れられず、自分たちだったらどうするだろう?と思って、安楽死マシーンのアイデアが生まれたんです。
http://www.webdice.jp/dice/detail/4911/引用
この映画は二人の監督のタッグで作成された。
もう一人の監督であるタル・グラニットは、同インタビュー内でこの映画に対しての想いをこう語っている。
ユーモアや笑いって、人々の心を解き放ったり、ふと身近に感じさせてくれたり、心を軽くしたりできると思うんです。
http://www.webdice.jp/dice/detail/4911/引用
経験からもシリアスな問題に向き合って乗り越えるのにとても有効だと知りました。映画としても難しくシリアスなテーマを、観客により身近なものとして訴えることができたし、涙を流しながらも笑ってもらえる作品にできたかなと感じています。
以下の印象的なシーンは、 タル・グラニット が言う笑いとユーモアを良く表現されているシーンだ。
また、映画の中で妻レバーナが認知症によって安楽死を選んだことを取り上げたのは、
- ユダヤの宗教観の描写
- より複雑なモラル問題の描写
が理由だ。
ユダヤの宗教観の描写
主人公が人の生死に影響を与える行動をとることを、神の行為と捉え、神のような行為をする役は、罪を償わなければならないとされている。
そのため、ヨヘスケルの最愛の妻の認知症が重度になっていき、ついには妻自らが死を望むというシーンが描かれている。
複雑なモラル問題の描写
認知症やアルツハイマーは、イスラエルの国でも解決法が見つからないとして問題になっているそうだ。
更にそれらの病気は、物理的な問題とは違い、精神的な問題が大きく絡んでいる。
周囲からはその苦しみがわかりづらく、患者が自分で決断することが難しいため、まさに現代のモラルに食い込んだ描写が、この映画の魅力の1つだ。
【死と倫理は切り離せない】
シャロン・マイモン監督は、インタビューの最後にこんな言葉で締めくくっている。
医学の進歩、薬のおかげで寿命が延びていますが、どこまで治療するのかということも考えないといけない。精神的なものはケアされず、死の話題は話したくないという傾向もあります。人生をどう終わらせるかは教えていない。この映画で、最期についてみんなが考えるようになればと思っています。
http://www.webdice.jp/dice/detail/4911/引用
監督が“安楽死タブー”とされている国で、その問題をダイレクトかつユーモアに描いた背景には、
死に対して、もっとオープンに会話がなされ、それぞれが自分のハッピーエンドとなる最期を考えるきっかけを作りたかったのではないだろうか。
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