お遍路周り。それは現代社会で失われつつある「繋がり」をもとめるための長い道

いま、お遍路回りをする若者が急増しているという。彼らは人生に疲れていたり、死にたいと考えるほどに追い込まれてしまったりなど、限界の精神状態に陥りながらも「自分自身と向き合うため」1400キロにも及ぶ長い道のりを歩くという。

藁にもすがる思いで参加する若者

ではいったいなぜ、人々はあえて四国霊場までの長距離を、自らの足で歩いて巡拝しようとするのだろうか。霊場巡拝の行動を起こす背景にはそれぞれに動機やきっかけがあるは ずである。

お遍路に参加した若者は「とにかく何かにすがりたかった。」という人が多く、心 を病んでいるものや自殺願望のあるものは最後の希望、まさに藁にも縋るような思いでお遍路に参加しているという。



実際に1991年、 徳島大学が調査を行った結果、巡拝による効果として「こころの安定感がとれた」「お遍路を通して心の友ができた」「生きがいを感じられた」などといった結果がでた。

お遍路というのは四国市内に点在する88ヶ所もの寺を徒歩で廻ることを指す。

さらに寺を 訪れるだけでなく、本堂と大師堂の合計2ヵ所で読経しながら願いを叶えてもらえるよう祈願しつつ寺をめぐる。

※お遍路についての詳しい知識は下記URLに記載

http://ohennro.choitoippuku.com/ohennroketigann.html

自分が何者であるか知りたい若者たち

お遍路は最初の過酷な道のりは日常生活ではなかなか経験することがなく、普段運動して いないような人にはかなりの負担がかかる。だが体を酷使するなかで、徐々に自分の体が 出来上がり、やがて余裕ができる。余裕が生まれることにより初めて自分と向き合えるようになるというのである。やがてお遍路を耐え抜いたことは自分の中で大きな自信となり、自らを肯定できるきっかけにもなる。

「一期一会の出会い」が紡ぐ思い

人間関係や人との繋がりに疲れたという理由で参加した青年。当初、彼は人との関わりに 煩わしさを感じ、いきることに疲れていた。しかし彼は巡礼の道中。ゆっくりだが確実に。自分の心境に変化が起きていることに気付 いたという。

その心境の変化は、同じお遍路巡りの道中で出会った人や、地元の方による「お接待」と いった制度によるものではないかと分析できる。
四国では昔ながらの風習で、白装束を身にまとったお遍路さんに無償で、食べものや飲みものを振る舞うことが慣習として残っている。

これはお遍路さんは弘法大師様として、無償で受け入れることが習慣として根付いているからだ。見ず知らずの人から施しを受ける経験というのは、私たちは普段生活している中で経験したことがあまりないだろう。

地元の人々にお接待を受けることでお遍路さんと地元の人々との深いつながりを身をもって体感する。

それはまさに「一期一会」の連続によって生み出されたつながりであり、合理 主義の現代社会を生きる若者たちからしたら衝撃的な経験だろう。

他人になにかする時は 必ず見返りを求めたり、優しさには必ず裏があると教えられ続けたいまの若者。

そんな彼らが無条件に施しを受け、優しく受け入れられることで現代社会では失われつつ ある人との繋がりや、ありのままを受け入れてもらうことにより、自分自身の存在を肯定することにつながるのではないだろうか。

まとめ

実際にお遍路を経験した青年は「人との関わりに疲れていたが、他人とのつながりの大切 さや温かさを実感したと言う。 お遍路はまず、自分自身の体力の限界と向き合い、体と心がつながる。 そしてその巡礼の中で地元の方からお接待を受けることにより、無条件の優しさを感じ他 者との繋がりの大切さに気付く。また同じお遍路をめぐり、過酷な環境を共に耐え抜くこと で共通認識や仲間意識が生まれかけがえのない友人を得ることができる。 お遍路は無条件な人の優しさ、そして人との繋がりや過酷な経験を通して現代社会で失わ れつつあるものや自分自身を取り戻すために若者は参加しているのだろう。

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