Story

heren/artist

苦しみの環境にただ漂うことしかできず
溺れていた幼少期

生まれつき国指定の難病を持っていた事もあり、
0歳から小学生2年生までの7年間を
親と離れた施設で過ごす。

施設には同じように重い病気を
抱えた子供達が過ごしており、
仲良くなった同年代の子供たちが
何人も亡くなっていく姿を見る。

その別れの辛さと現実に耐えられず、
自然と人と接する事を避け音楽を聴くようになる。

7歳になった時、施設から出て
両親と生活を始めるが、
更に辛い現実に

向き合う事になる。

<障害に対する偏見>
<貧困>
<心無い言葉>
<周りからの視線>
<親からの虐待>

施設では、「命を大切に」と教えられて
育った「彼」にとっては、
TVから毎日のように溢れる犯罪のニュース、
心無い言葉や暴力を受け続ける
施設外の生活が受け入れ難いものだった。

葛藤と混乱の最中、
おのずと「死」を意識し始める。

物心ついた時から常にあった問い
“なぜ自分は生きているのか”

出口の無い暗闇にも似た葛藤の中で
全てを終わらせる事を実行した10代

生きている意味が分からなくても
死に切れない虚しさ

だからといってそんな自分を
受け入れる事も出来ない悲しみ

その痛みの中、原因の全てを
”生まれてきた事、親、周りの環境”
せいにして恨んだ結果、
社会への暴力と非行を重ね続けた。

その中で、自分に似た問題や悩みを
抱えて生きている様々な状態の人との出会いをきっかけに

自分はどう生きるべきなのか?

本当にしたい事はなんなのか?

と考えるようになり、次第に漠然と自分の心には
自分自身が作り出した闇があると気づく

生き方で人生は変えていくことができる
そして、人の生き方に大きな要因を与えるのは、環境である

自分が求めていたものに気づいた20代

欲しかったものは「愛」
終わりの無い”闇”に向き合う
勇気をくれたのは、音楽

本当に自分が欲しかったのは、
お金でも暴力でも、今のような
生き方でもなく
親からの愛だったと気づき
認めることができるようになるまでには
自身の闇に向き合い出してから
約、4年の歳月が過ぎていた

この4年間を振り返ると、
波寄せる夜の砂浜を傷だらけの素手で
あるかもわからない探し物を

止まった時間の中、言葉も忘れ手掘りで
探し続けるような感覚だった

この過程の中で自分の心の整理、
そして、本当の自由の正体は
社会との関わりの中でしか、
手にする事ができない事を知り
表現とコミュニケーションの手段として
アーティストとして活動を始める

音楽や映像作品を中心としたインスタレーションアート
メディア媒体を使った発信などその活動は多岐にわたる